Share

─3─ 死神の微笑

Author: 内藤晴人
last update Last Updated: 2025-05-04 20:30:20

窓の外には『平和な日常』がある。

朝目覚め、昼働き、夜眠るという、戦いとは縁もゆかりもない日々が。

果たしてこの大陸て、無数の人々が戦火によってその生涯を終えていることを、どれほどの人間が知っているのだろうか。

何の変哲のない、ありふれた日常を夢見て死んでゆく人々を心に留めている人間がどれだけいるのだろうか。

そんなことを考えながら、ロンドベルト・トーループは笑みを浮かべた。

皮肉に満ちた死神の笑みを。

ザハドの戦が終結してから、十日と少しが経過した。

本来ならば本隊と共に任地アレンタへ戻っているはずの彼は、エドナ宗主であるマケーネ大公直々の命令により、エドナの首都に滞在することを余儀なくされていた。

彼にとって、首都は最も多感な少年時代を唯一の肉親である父親と過ごした場所である。

しかし、その父は既にこの世を去り、残っているのも楽しい思い出ばかりではない。なぜなら武家の家に生まれたにもかかわらず光を持たなかった彼は、力が発現するまで父親との関係はあまり良いとは言えなかったからである。

今回も待っている運命は十中八九、彼にとって喜ばしいものではないだろう。

その根拠は、彼自身が一番良く知っている。

屈辱的な負け戦となったこの度のザハドの戦い、そのきっかけを作ったのは、ロンドベルトに他ならなかったからである。

常勝軍団イング隊を率いザバドの地でシグル隊と合流し、敵蒼の隊を殲滅(せんめつ)する。それが今回彼に下された命令だった。

が、彼は意図的に南下を遅らせシグル隊を単独で敵にぶつけ、ほとぼりが冷めようといったところで行軍を再開したのである。

結果、イング隊の損害は皆無に近かったが、不幸なシグル隊は壊滅的被害を受けた。

自軍を守るために最良の方法を取ったわけではあるが、シグル隊を派兵したアルタント大公が黙っているはずがない。

エドナでは
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 名も無き星たちは今日も輝く   ─16─ 救出

    「……か……閣下?」 その姿を認めるなり、ユノーはあわてて走り寄る。 近づくに連れ、なんとも言えない異臭が強く鼻を突く。 今までここで何が行われていたのを理解したユノーは、思わず立ち尽くし、後からやってきたシグマは込み上げて来る吐き気をこらえながら忌々しげにつぶやいた。 「……なんてことをしやがる」 対するユノーは、衝撃と怒りで言葉も出ない。 が、一歩引いたところでその様子を見ていたロンドベルトは、さも当然とでも言うような口調で告げる。 「理性と尊厳を破壊するには、もっとも手っ取り早い方法ですからね」 あまりにも冷静なその口調に、シグマはロンドベルトをにらみつける。 それを受ける側はわずかに肩をすくめ、冗談めかしてこう答えた。 「私はこんな回りくどく悪趣味な方法は使いませんよ。誤解しないでください。私でしたら……」 両者のやり取りを無視して、ユノーはぴくりとも動かないシエルの脇に膝をつき、自らのマントでその身体を包んだ。 「……はい?」 そして、そのままシエルを背負おうとした時、何かを聞きとがめてその顔を注視する。 藍色の瞳は虚ろに見開かれ、色を失った唇は同じ言葉をうわごとのように繰り返していた。 「……殺せ……一思いに……殺せ……」 「閣下! しっかりしてください! 僕です!」 だが、その声はシエルには届かない。 どうすることもできずにいるユノーを押しのけるようにロンドベルトはひざまずくと、その手をシエルの額にかざした。 「……あ……や……は……」 意味をなさない小さな声をもらすと、シエルは目を閉じ力無く首をがくりと折る。 不安げに見つめてくるユノーに、ロンドベルトは低く答える。 「大丈夫、気を失っているだけです。さあ、この間に早く」 一体どのような方法を使ったのか、ユノーは聞こうとしてやめた。 聞いたところで、ロンドベルトが正直に答えるとは思えなかったからだ。 同時に、取り乱すだけで何もできなかった自分を恥じた。 やはり自分は、武人として大切な何かが欠けているのだろう。 だが、今はそれをどうこう言っている場合ではない。 「……わかりました」 注意深くシエルを背負うと、ユノーはややふらつきながら立ち上がった。 両手がふさがっているこの状態では、剣を振るうことはでき

  • 名も無き星たちは今日も輝く   ─15─ 作戦決行

    翌日、表面上は何事もなく日勤を終えたユノーが引き継ぎを済ませ帰宅しようとしていた時、声をかけられたような気がして振り向くと、柱の影にペドロがたたずんでいた。 「……シモーネ嬢から連絡がありました」 その言葉に、ユノーは自らの心臓が飛び跳ねるのを感じたが、つとめてそれを表情に出すまいと努力して言葉の続きを待つ。 「正式に公爵閣下のお許しが出たそうです。いつでも受け入れる準備ができた、と」 はやる気持ちをおさえて、ユノーは一つうなずく。 それから、緊張でややかすれた声でたずねる。 「では、決行はいつ?」 「できるだけ早い方が良いでしょう。幸い明後日の夜は常闇に当たるので、都合がいいかと」 そう言うペドロにユノーはもう一度うなずき、とある疑問を口にする。 「わかりました。ですが、シグマさんとトーループ閣下には……」 「シグマにはすでに伝えました。将軍閣下には配下の者をやり、つなぎはつけました」 もはや、後戻りはできない。 両の手を固く握りしめるユノーは淡々とした口調で続ける。 「日付が変わる頃合いで出立します。場所は、中央広場」 そう言い残すと、ペドロの姿はいつの間にか消えていた。     ※ 中央広場から地下水路に潜り、足首まで水に浸かりながら闇の中をランプを頼りにどれくらい歩いただろう。 皇都の地下に張り巡らされている水路は、長身のロンドベルトでも余裕を持って歩けるほど天井が高い。 そのロンドベルトは、地図を見ることなく歩を進める。 万一その人がいなければ、迷路とも言える水路の中で確実に迷い、二度と光を見ることはできなくなるだろう。 そんなことをぼんやりと考えていたユノーを、シグマの声が現実に引き戻した。 「なあ坊ちゃん、斥候隊長は大丈夫かな?」 そう、ペドロは戻ってきたユノー達を拾いフリッツ公の屋敷へ送り届けるために中央広場に待機しているのだ。 当然の疑問ではあるが、ユノーは首を左右に振った。 「配下の方もいらっしゃるんですから、こちらより数倍安全ですよ」 そう言うユノーの声は、わずかに震えていた。 無理もない、万一敵に気付かれれば自らの手を血に染めなければならない状況に足を踏み入れたからだ。 けれど、恩人を救うためなら致し方ない。 そう決意を固め、ユノ

  • 名も無き星たちは今日も輝く   ─14─ 問いかけ

    重苦しい沈黙が、室内を支配する。 が、それをいち早く破ったのはシグマだった。 「場所がわかったんなら、すぐにみんなで……」 「敵が白の隊とわかった以上、迂闊に動くのは危険です。ここは綿密に計画を練るべきでしょう」 けれど、ペドロがそれを遮って冷静に常識的な意見を述べる。 たしかに、ルウツの正規部隊相手に無策で乗り込んでも、返り討ちにあい全滅しかねない。 ロンドベルト、そしてシモーネもうなずいて同意を示したのがよほど不服だったのだろう、怒気をはらんだ口調でシグマはさらに続ける。 「けど、一刻を争う事態なんだろ?」 苦悩の表情を浮かべると、ロンドベルトは再びうなずいた。 果たしてその瞳にはなにが映ったのだろう。 そう思いつつユノーは彫りの深いロンドベルトの顔をじっと見つめる。 その視線に気がついたのだろう、ロンドベルトはおもむろにユノーに向き直った。 「し、失礼しました、トーループ閣下。あの……」 ユノーの言わんとしていることを理解したのだろう、ロンドベルトは卓の上に肘をつき両手の指を組むと、その上に形の良いあごを乗せる。 それから目を閉じると、わずかに眉根を寄せながらささやくように言った。 「正直……あれは拷問などという生易しいものではありませんでした。生命が尽きる前に心が壊れてしまうやもしれません」 言い難い空気が、その場に流れる。 誰もがうつむき言葉を失う。 その沈黙を破ったのは、やはりシグマだった。 「なら、なおさら早く動かなきゃまずいだろ? 大将をこのまま見殺しにする気か?」 それに応じたのは、やはり冷静なペドロの声だった。 「ではお尋ねしますが、首尾よくシエルを救い出せたとして、どこに匿うのですか?」 「……そりゃ……そう、司祭館に……」 「それでは、猊下や他の神官を危険にさらすことになりかねません」 「なら……うちの空き部屋に……」 思いつきで答えるシグマに対し、ペドロは呆れたとでも言うように深々とため息をつく。 「白の隊が大挙してシエルを取り戻しに来たらどうするつもりです? あなた一人で何ができますか?」 眉一つ動かすことないペドロに対し、シグマはついに怒りをあらわにした。 「じゃあどうすればいいんだよ! 斥候隊長は大将を助けたくないのか?」 激高するシグマを

  • 名も無き星たちは今日も輝く   ─13─ 闇の中

    疑わしい貴族の屋敷を一つ一つ潰していくロンドベルトの額には、いつしか玉の汗が浮かんでいた。 その顔色も、目に見えて青ざめている。 しかし、未だその人を見つけることはできなかった。 「少し、休まれてはいかがですか?」 当初は疑惑の視線を向けていたシモーネが、以外にも一番始めにロンドベルトの体調を心配する声をかける。 同じく懐疑的な印象を抱いていたであろうシグマが杯に飲み物をついで、ロンドベルトに向かい差し出した。 「そうだよ、さっきからぶっ通しじゃねえか。……ひでえ顔色してるぜ?」 それらの言葉を受けたロンドベルトは、大きく息を吐き出すと額の汗を拭い、わずかに苦笑を浮かべた。 「情けないものですね。昔は無数の『草』の様子を見てもなんともなかったのですが」 言いながら杯を受け取ると、ロンドベルトは一気にその中身をあおった。 そして、再び息をつく。 「大口をたたいたにもかかわらず、お役に立てず申し訳ない限りです」 しかし一同は等しく首を左右に振った。 そして、シモーネは申し訳なさそうに目を伏せた。 「いいえ、もっと対象を絞り込んでいればいらぬ苦労をおかけしなくても済んだんですが……」 「公爵閣下も、今はお立場が以前とは違いますから。仕方がありませんよ」 遠慮がちにそう告げるペドロに同意を示すように、ユノーはうなずいた。 確かに愚昧公と呼ばれていた頃とは異なり、フリッツ公は今やこの国の皇帝になるかもしれない存在である。 当然、四六時中護衛に囲まれて、不自由な生活を強いられているらしい。 「……それにしても、他に手がかりになるような物は無いのでしょうか? それなりの数の軍勢をうごかせる、というだけでは……」 あまりにも抽象的で雲をつかむようだ、とロンドベルトは言う。 確かにそのとおりだった。 戦闘部隊を軍として統括し、国だけが動かすことができる権利を持つエドナとは異なり、ルウツでは大貴族が私兵とも言える配下の騎士団を持っている。 何か、決め手になるものは……。 そこまで考えが及んだとき、ユノーはあることを思い出す。 次の瞬間、こんな言葉が口をついて出ていた。 「申し訳ありませんが、あと一か所だけ見ていただくことは可能ですか?」 一同の視線が、ユノーに集中する。 一体何事かと言わ

  • 名も無き星たちは今日も輝く   ─12─ 連合軍

    「私も仲間に入れていただけませんか?」 そう言うロンドベルトの顔には、笑みはない。 どうやら今までの会話はすべて聞かれていたらしい。 やはり自分が尾行されていたのか、と肩を落とすユノーに向かい、ロンドベルトはあわてて言葉をかける。 「先程私が話したことは、すべて事実ですよ。宿舎の食事には本当に飽きましたので。私がここにいるのは、全くの偶然です」 そう慰められてもユノーの気持ちが晴れるはずもない。 うつむくユノーをよそに、ペドロは鋭くロンドベルトをにらみつける。 「では、その言葉を信じるとして……。どうしてあなたは、かつての敵であるシエルを助けようなどと思うのです?」 一同の視線を一身に受けて、ロンドベルトはわずかに苦笑を浮かべる。 そして、いつになく穏やかな口調で切り出した。 「そう、ですね。強いて言えば、借りを返したいといったところでしょうか」 聞けば、ランスグレンにおける最終決戦のおり、シエルは戦意を失ったロンドベルトをあえて撃たなかったという。 「不思議なことに、敵に情けをかけられても怒りはわきませんでした。ですが、恩義は返すべきだ。そう思いまして」 言い終えて、ロンドベルトはわずかに目を伏せる。 『黒衣の死神』と恐れられるその人らしからぬ表情に、一同は等しく絶句する。 それを意に介すことなく、ロンドベルトはさらに続けた。 「無論、立場が立場ですから、無理強いするつもりはありません。そして希望が通らなかったとしても、他言するつもりはありません。ですが、少なからずお力にはなれると思うのですが」 「それは一体、どういう……」 相変わらず厳しい表情を浮かべたままのペドロ。 その隣に立つユノーは思わずあっ、と声を上げた。 同時にシグマも何かを思い出したかのように、ぽんと手を一つ打つ。 そんな二人の様子に、ペドロとシモーネはわけがわからず首をかしげる。 予想通りの反応に含み笑いで応じてから、ロンドベルトは改めて自らの『瞳』に隠された事実を両者に説明した。 なおも疑いの眼差しを向けるペドロに対して、シモーネは興味深げにロンドベルトに尋ねる。 「では、将軍閣下は見えざる瞳であらゆるところを見ることができる、そうおっしゃるんですか?」 「少なくとも、昔は。今は多少カンが鈍っているかもしれません

  • 名も無き星たちは今日も輝く   ─11─ 急展開

    朱の隊は、朝からある話題で持ち切りだった。 なんでも昨日深夜に司祭館から救援要請があり、急ぎ当直の部隊が駆けつけてみたところ、当の司祭館は誰もそのようなことはしていないと言うのである。 その言葉の通り周辺は静まり返り別段変わった様子もなく、駆けつけた部隊は何かの間違いだったのだろうと考えて戻ってきた、ということだった。 「司祭館を騙ったいたずらか。誰だか知らんが罰当たりなことをするやつがいるな」 そう言う先輩隊員に、ユノーは曖昧な表情を浮かべてうなずいて返す。 だがその心の内には言葉になりきらない違和感がくすぶっていた。 それが一体何であるのか自分でも理解できぬまま彼が午前中の任務についていたときである。 かすかに名を呼ばれたような気がして、ユノーは立ち止まり周囲を見回す。 と、柱の影でペドロがこちらに向かい手招きをしていることに気が付いた。 その顔には、戦場さながらの緊張感が張り付いているようである。 一体何事かと疑問に思いつつ、ユノーがそちらへ歩み寄ると、彼が挨拶の言葉を口にするより早くペドロはこう切り出した。 「今夜、シグマの店に来ていただくことは可能ですか?」 訳がわからず、ユノーは思わず首を傾げる。 なぜなら、ペドロは他人を酒席に誘うような人柄ではないからだ。 それが一体どういう風邪の吹き回しだろう。 そんなユノーの内心の疑問に答えるように、ペドロは言葉を継いだ。 「詳しくは、シグマの店でお話します。ここではどこにどんな目が光っているかわかりませんから……」 いつものぼそぼそとした口調は、だが切羽詰まっているように思われた。 どうやら何かあったらしい。 しかも、相当に大変なことが。 「わかりました。今日は日勤なので、終わり次第伺います」 そのユノーの返答に、ペドロは目に見えてほっとしたような表情を浮かべる。 が、それをすぐにおさめると、こう続ける。 「ありがとうございます。この件は、くれぐれも他言無用でお願いします。例え殿下であっても」 はて、と再びユノーは首をかしげる。 ペドロの方が自分よりもはるかにミレダに近い立場にあるはずだ。 にもかかわらずこのようなことを言うとは、一体どういう訳だろう。 戸惑いを隠せずにいるユノーに向かい、くれぐれもお願いしますと

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status